「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中 | ||||||||||
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。 「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。 「力になろう!」という皆さま!! ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします! 会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。 住 所 沖縄県名護市城2-13-2 電話&FAX 0980−54−2948 e−mail dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp |
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会費・・・月1000円、年10.000円となります | ||||||||||
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よろしくお願いいたします |
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じゅごんの家へのメールはコチラ!!→→ |
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5月I
※辺野古への行き方をご案内します。 辺野古には、那覇と名護より77番のバスで来ることができます。 詳しくはhttp://www.rosenbus.com/から路線バスの沖縄バス、 77系統名護東(辺野古)線をご覧下さい。 辺野古バス停で下りたら、海の方まで川沿いに歩いてください。 漁港前の防風林を越えて防波堤に出たところが座り込みのためのテントです。 途中、命を守る会への案内看板もあります。そちらからでもテント村に行けます。 車、レンタカーでいらっしゃる方は、沖縄自動車道「宜野座インター」 を出て左、国道329号線を北上し10数分、「久志(北)」の交差点を左折、久辺中学の横を通り、坂の下の給油所「辺野古(西)」を 右折、川沿いに海に向かいます。 辺野古漁港は立ち入れませんので、手前に駐車して漁港入り口までおいで下さい。テント村の場所は漁港入り 口向かって右側、防風林の向こう側、防波堤の上です。 |
☆飛び入り大歓迎!! 一緒にビラまきをしたい人を募集しています。 ☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止) 14:30 「じゅごんの家」集合!!(名護市城2−13−2) 15:00 為又・「洋服の青山」前で街宣開始! |
朝11時、出棺のとき。みんなで祐治さんを見送りました。 | ||
海上では、作業を終えた海保の船が引き揚げていく。 | ||
告別式会場。 | たくさんの人が集まりました。 | |
妊婦と夏芽さんお腹対決。 勝負は夏芽さんの勝ち。10ヶ月になっても勝てそうにありません・・・。 |
命を守る会・金城祐治代表が亡くなりました。富田晋より全国の皆様へ。 | ||
全国の皆様へ。 全国の皆様。今日、僕の親父とも言える人が亡くなりました。祐治さんです。 亡くなった直後、海上で船を操船中に電話で知りました。言葉になりません。この気持ちをどう表したらいいのか。 涙が溢れ、止まらず、泣きながら船を操船しました。カヌー隊はオールを揚げ、悲しみと闘いの継続の意思を示していました。全員が泣きながら、されど祐治さんの意思を継ぐために闘いへと出ました。 正直に言って「なぜこんな時に海に出なければならない。祐治さんのもとへ行きたい」と切に思いました。 人として泣きたいときもある、叫びたいときもある。それを抑えて海に出て闘う。このような状況を僕たちに強いているのは他ならぬ政府であることへ満身の怒りが込み上げてきました。そして涙も。 僕たちは祐治さんの気持ちに答えることは基地建設を阻むことだと信じ、闘いを今日一日継続しました。海上保安庁からの嫌がらせ、弾圧と闘いながら。
僕にとって祐治さんは人生の大半を濃密に過ごした人です。時には殴られて怒られました。時には酒とタバコの味を僕に教えました。時には人生の師として教えられ、語り合い。仲間として杯を交わし、これからの行く末を議論し、祐治さんはその後姿で僕に人生を教えました。僕が僕らしく生きること。人として生きること。若者が次代を担うのだということ。 皆さん、すみません。書いても、書ききれません。書いているだけで涙で画面がにじみます。 僕にとって今までの人生で一番にかけがえのない人が亡くなりました。 通夜に行ってお顔をあわせ、声をかけました。かえってきませんでした。触れて、声をかけました。冷たくなっており、安らかなお顔をしていました。 言葉にすることがこれほど難しいことはありません。 祐治さんは病室で夏芽さんに「今の若者は何をやっとるのか!若者が頑張らないとダメダ!あとは若者に任せる。」といっていたそうです。 僕のことは「晋は大丈夫か?あいつにもっとしっかりしたものを残してやりたかった。」と言っていたと後で初子さん(連れ合い)から聞きました。 祐治さん、祐治さん。祐治さん、祐治さん! すみません。僕たちがもっともっと頑張れたはずです。僕がしっかりしていれば。 これからもっともっと頑張ります。見ていてください。僕の横で見ていてください。 祐治さんと過ごした7年間、本当に幸せでした。祐治さんの魂、祐治さんの思い、全て僕自身の魂に刻まれています。
僕は祐治さんの代わりは出来ない。けれど引き受けようと努力することは出来る。未熟で、本当に未熟で色々な心配をかけてごめんなさい。精一杯頑張る。みんなの思いを引き受けるから。一緒に闘ってください。頼りないかもしれないけれど引き受けるから。 これからもっと厳しい時代と闘いが待っています。しかし、祐治さんは僕たちに示してくれた「継続は力なり、力は勝利なり」と。そして2度も基地建設を阻んできた。 「貧乏人には貧乏人なりの闘いがある。」 「心にいつも遊びと余裕を持て。」 「時代は動く、だから辛いし、楽しい。」 「もうちょっとしっかりしろ!」 「一つ一つの言葉に重みを持て。人に伝えることを大事にしなさい。」 「おまえが引き受ける番だ。ちょっと心配だけどな。」 「信じることを忘れちゃいかんよな。」 「年寄りには年寄りなりの考えがある。生意気ばかり言うな!」 「自分が大事だと思った言葉を継続して伝えなさい。」 「晋の財産は人間関係だ。大事にしなさい。そういうのを人徳って言うんだぞ。」 「明日、俺と一緒に現場に立つか?逃げてもいいぞ。(2004年4月18日の夜・強行前夜)」 「お前なぁ、四の五の言ってないで闘え!」 「ここにいる仲間たちを大事にしたいよなぁ。頼りないのが多いけど。」 「根を張って積み上げろ。長いトンネルの先には希望があるぞ。」 「俺は長くない。晋、分かっているな?」 「周りを見て考えろ。お前は突っ走りやすい。ちゃんと自分を抑えろ。」 「カーッとなったら足元を見る。闘ってもそれでこけたら意味ないでしょ。」 「STOP YUJIって俺のことか?まったく紛らわしいよな。」 「命を守る会で亡くなった10人の思いを引き継ぐ人間が必要なんだ。」 「頼りないリーダーでごめんな。」 「生きろ!最後まで生きろ。俺の前で死にそうな顔をするな!海から生きて帰ってこい」 「」まだまだたくさんたくさん教わりました。伝えきれないほどです。 一つ一つの言葉を自分のものとして引き受けていくには時間がかかると思います。しかし、それこそ僕にとって自分らしさなのです。原点なのです。
9月に僕とサオリちゃんの子供が生まれてきます。 最初「樹里」という名前にしようと思っていました。おばぁやおじぃたちが辺野古の闘いのことを「一本一本、木を植えていく闘い。それが育ち大木となり、森となり、基地建設を阻む」と言っていました。一本、一本の木を植えている里から生まれる子供だから「樹里」にしようと思いました。 しかし、話し合って変えました。 本当は子供が生まれたら祐治さんに真っ先に見せに行くつもりでした。それが叶わない悲しみと僕たちが祐治さんの意思を引き継ぐ決意として名前を「祐樹(ゆうき)」とします。 おじぃ・おばぁが言っていた「樹」の話し、そして祐治さんの「祐」の字をとりました。 皆さん共にあってくれますか? 共にあってくれると信じています。 駆けつけられる方は事前調査を阻止するためにどうか辺野古に集まってください。闘いましょう。全ての人々の平和と平等のために!!祐治さんの魂は今、ここに共にある!! |
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沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と600日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。 家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。 彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて 闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。 世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。 どうしても、今止めなければならないから。 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。 先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。 東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況 の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。 ものすごく個人的な話ではある。 でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。 自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。 大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。 足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。 周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 |
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私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。 彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。 家族会も結成されました。 ご協力をよろしくお願いいたします。 |
太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、 1/15 現在 |
郵便局 10020−84023361 | |
赤羽 則子 |